恩師へ捧げるバラード。
当時コバヤシ少年は18歳。
ココロの中ではロケンロー♪と叫びながら、実際はバスケットボールを追いかけ回していた。
ロケンローとは程遠い、”ファイトー”である。今よりもっと金切り声。超音波。
それでも、叫び続けた3年間。
”ナイスシュート!”と言われる事無く”ナイスシュート!!と叫び続けた。
それでも、転がり続けた3年間。
最後の日、体育館で監督にかけられた言葉は今でも覚えている。
”一番最初にやめると思ってわ。すまん。よく頑張ったな。”
バレー部の隣のコートで毎日毎日、汗、血、ゲロ、ヨダレ、小便、ありとあらゆる物がしまり無く吐き出される。肉体の限界を超えると体中から漏れると知った。朦朧として記憶は無い。身体が脊髄の指令だけでバスケットボールをオートマチックに追いかける。
全国で1、2、を争う名門中の名門のバレー部ですら、バスケ部の練習はやりたく無いと言っていた。
根性なのか、意地なのか、好きだったのか、仲間なのか、若さなのか
未だに答えはわからない。その答えは風のなかへ。
ただ、分かる事は3年間やりきったと言う事。
自分のベーシックな部分は確実にこの時に構築された事。
どれだけ辛くても監督の事は嫌いではなかった事。
去る7月頭の日曜日。
コバヤシ少年は立派にオッサン。
恩師が監督になって28年目にして、やっと手に入れた ”初のインターハイ出場の切符”。
蒸し暑いバスケットコートの中では無く、ひどい二日酔いの身体では、酒か寒さか解らないくらいクーラーの効いたホテルの宴会場に、OBとして壮行会に出席。
覚悟はしてたが、今でもバスケットボールやスポーツを嗜んでるであろう群衆の中では、妙に白く、やせっぽちでそのくせ腹だけは出てる自分は不釣り合いな気がした。
でもただ言いたかった。
”おめでとうございます。”
20年ぶりの恩師は、びっくりするくらいあの頃と変わらない笑顔とあの頃と違わない汗っかきの汗だくで、
”変わらんの〜”とおっしゃった。
被害妄想はあくまで被害妄想でしか無く、生徒も弟子も先生から見れば変わらず子供なんやと思った。
もはや高校生では無い。思いっきり祝杯を掲げたかった。
伝えたい事もあるんです。
忙しく席をまわり、挨拶している背中を見ながらそう呟いた。
次に会ったら、ちゃんと
”有り難うございます。道は違えどしっかり頑張ってます”と胸はって。杯交わします。
そう。僕は一杯の乾杯に情熱を傾けるんだ。
これからも。
でも知らなかったです。
先生と呑み比べ出来る日が来ないなんて。
あんなに身体が大っきくて丈夫で、豪傑なのに
まさか
まさか
下戸とは夢にも思わなかったです。ぎゃふん。
のぶ!!
なかなかええ言葉書くやん!
読んでて、ジ~ンときたわ。俺らの根性の基礎を作ったんは、まさに精三やもんな。あん時にやりきったから今は、どんなことでもビビらずにできるようになったと思うわ。なんてったって人生で唯一怖い人やからな。おれも行きたかったわ。のぶも変わらんな~って言われるのんわかるで~。だって、精三と写ってる写真、高校の時ののぶに戻ってるもん。
おーっ!まさかのバスケ部副キャプテンコメントありがとう!
結局、ヨシヒロの言う根性とこうやって支えてくれる仲間が残ったのね。それが最大の財産やねん。
多少の距離も、時間も離れてても平気やねん。
そやけどたまには、こういった確認作業も必要やで!
だから、今年中には大阪帰っておいで!(笑)